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​ principles 

站樁が価値感低く扱われていること

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 今や抱球型の站樁はどこでも行われておりますが、そのほとんどが準備体操の一環もしくは「補助」という位置で形式上のものになってしまっているのは、その物理に裏付けされた合理性や直接奥義に関わることを知らないからです。

中国武術の経験者ならば、誰でも一度は経験していると言っても過言ではないほど普遍的存在なのですが現状を鑑みると太極拳教室でも必須としている割には一番理解されていない練習方法だと思います。一般的に「重要であるらしいが」「なぜなのか分からないけど」「一応やっておく」「知らないうちに効果があるのかもしれない」という取り組み方です。

この原因は指導者も理解していないからです。

適当なことを指導者が言えば、ますます、生徒は意味のないものに見えるでしょう。

現状の学習環境の中で站樁に対する説明が詳細にされていないのであれば、站樁の価値感が低くなるのは当然のことです。

しかし、ごくわずかですが站樁で成果を上げている人がおります。

学んだ人は站樁の内容に”確かさ”と”拡張性”があることを確認していますので隠します。 

当会に所属していることも隠している人が多いのですが、なぜ隠すかは武術の本質が人と争うものであるからです。

 

本質を理解せず、意図的に曲げたり、超能力のようなパフォーマンスを行ない、素人を驚かせ、つまらぬ自己顕示欲を満たす行為や多くの武術をかじっては浅い知識で投げ出すような傾向が日本の学習者に漫然とあるのならば、なおさら伝えるべき人を厳選しなければなりません。 

このような理由によって基本的に隠しておくほうが得策であると私も思いますし、先のような行為を行う者とのコミュニケーションも私たちの信用問題となりますので遠慮したいと思っております。

指導者と生徒の目指す方向が同じであるべきです。

站樁の位置付け・意拳の学び方   

 意拳と言えば站樁功です。 站樁は一定期間学べばそれで終わるわけではなく、常に立ち返るべき「原理原則」の塊であり、重要で普遍的なエッセンスだけに絞られたものです。

原理原則を正確に覚え、一人で、または人の手を借りて検証・熟練・活用の繰り返しを行います。  現実問題から具体的な自己診断を行い、修正していくことも大切です。

外形上、大きな球体を抱えるような形式の站樁は意拳を発祥としております。このような事実も日本でも中国でもあまり説明されておりません。

原理原則の具現化を初期から中期に取り組むべき中心と考えた方が良いでしょう。

この学び方から外れると何年も練習していても、実は本当の練習は開始出来ておらず、時間だけが経過している状態と言っても良いでしょう。益々、站樁の目的と効果は解らないままになり、解らないものには頼らなくなってしまいますので、学習開始時当初から気をつけなくてはならないものです。

 

​自由攻防練習についての見解

年齢、男女の体能の差、基礎レベルにより、自由攻防の練習を許可するまでさせません。

自由攻防を想定した対人練習は男女共行なっております。十分なレベルと本人の希望​がある場合は、指導者と目的の再確認を行い、安全性を考慮した準備を行い、自由攻防練習を行わせる方針でおります。実際にこのように行っている方は多数おります。

基礎をわかっていない生徒同士が打ち合い、その後反省をしても結局、基礎力:原理原則に基づいた動きができているか?が争点になります。

運動量アップという目的ならば良しとしても、省みるところは自由攻防をやる前よりわかっております。

学習環境の重要性

 意拳は初めから慣れるために、完全に自由に行う推手や打ち合いをやる道場はあります。

こういう事に慣れていない人は恐怖感を持ちます。

この伝統的な訓練方法は状況に心が慣れ、正確ではなくとも本能的なものを出す練習になるため、大いに意味はあります。

しかし、多くは個人の経験則を育てるだけです。その拳(意拳)を理解する事とは、また別問題であることを予め知っておかなければなりません。

墨林窯 東京でいう「成果」とは理論に裏付けされた動きが出来ることで、誰かに偶然に勝つことではありません。この成果を指導者も学習する側も目指すので短期間の上達が図れています。

健康維持は副産物としているので会の主たる目的としていません。

(2022年より禅圓という健康目的の指導を始めました。墨林窯 東京自体は武術の研究をメインとしています。)

王薌斎先生は「要知拳真髄、首由站樁起」〜拳の真髄を知りたくば、まず站樁から始めよ〜

と仰っております。あえて「拳」という表現を用いて、武術全てを指して真髄を知るためには站樁から始めるべきだと言っているのです。

それだけの内容があの単純な形の中にあることは、始めれば納得できると思います。

墨林窯 東京の学習環境

良い学習環境とは、このような内容と協力しあえる仲間を含めたものです。

この事は決して軽視するべきではないと墨林窯 東京は考えています。

練習内容、練習方法が正しいことは当然のことですが、学習する側が難度の高い意拳に取り組み、停滞や放置されることがなく、少しずつでも進歩できるための条件を指導者が考え、斉えていくことが大切であると思っております。

より良く理解していただくため、個別指導を中心としているために現在15名前後の在籍で留めておいています。正しい考え方と指導ができるレベルに生徒が到達するのであれば、方針に沿った範囲で指導数を増やすこともあるかもしれませんが、指導可能な範囲、進歩状態が把握できる人数であることを重要視しております。

 

会員は他団体で指導員をされている方が多く、これまでのキャリアの裏付けや研究、意拳家として懸命に取り組まれております。

当会は他団体との重籍について、全くどうでも良いものと考えております。

申し上げ難いことですが他団体とは武術を行うものではなく、套路の熟練だけを目的とする団体、表演競技(型競技)団体を指しおり、また伝統武術と言いながら、武術の練習や継承になっていない団体も含みます。

全く紛らわしく、初心者の方々にはご理解に苦しむ話であると存じますが、このような団体があります。一見、似た動作を行なっていても目的が異なれば、そこでの成長の方向も変わります。

このように大きく異なっておりますので当会と競合する要素など全くないと考えております。

個人が求めるものが当会にしかないのならば、その方は来ればよいだけではありませんか。

以上、他団体の営業妨害を行うものではないことは申し上げておきます。

 

最後に

 意拳の理論から実力を得て武術の深いものまで理解でき、研究に張り合いも生産され、趣味が楽しくなるのであればなお良いものであると思いませんか。当会では純粋に継承していただければ十分であると思っております。 

王薌斎先生の技術と考え方を当会で学ぶのであり、墨林窯東京の指導者から習うことが最終目的ではないということを申し上げておきます。

墨林窯 東京は、これからも質素にして成果を出し、本質を伝える団体として存在して行きたいと思っております。

                                                      

2020年 墨林窯東京 代表 

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